熊本家庭裁判所玉名支部 昭和41年(家)109号 審判 1966年9月22日
申立人 山川サヨ
<仮名―以下同>
明治三四年七月三〇日生
主文
○○県○○市○○町○○番地筆頭者山川アキの戸籍中、申立人サヨの父母の氏名欄に父森五郎、母イトと記載してあるを消除し、右母の氏名欄に亡山川アキと記載することを許可する。
理由
(一) 申立人は主文同旨の戸籍訂正許可の申立をなし、その申立の実情として次のとおり述べた。すなわち、申立人は明治三四年七月三〇日、○○県○○郡○○町○○番地戸主山川一平の二女アキの非嫡の子として生まれたが、右アキの父一平のはからいで同人の長女でアキの実姉になるイトの私生子女として同年八月三日出生届出がなされ、後に右イトの夫となった本籍○○県○○郡○○町○○番地戸主森五郎が大正九年三月二三日認知の届出をしたため同人の庶子女として同人の戸籍に入籍し、さらに大正一一年五月九日実母山川アキとの養子縁組届出によって同人の戸籍に入籍して現在のような戸籍記載を受けているものである。
したがって戸籍上の父母の氏名は事実と相違していることが明らかであるから、戸籍の記載を真実と合致させるため戸籍の訂正をなす必要が存するものである。
殊に申立人は大正年間に前記イトの夫森五郎と同人の先妻ウキとの間に出生した三男次郎を事実上の婿養子として迎え(右次郎が申立人の実母であり戸籍上は養母となっている山川アキの養子となり、同時に申立人と夫婦となった。)、同人との間にすでに九名の子女を儲けているが、戸籍上は申立人と次郎は父(森五郎)を同じくする血族二親等の親族関係にあるため適法に婚姻届をすることができず、ために前記子女はいずれも非嫡の子となっており、長男一郎が生まれて間もない大正年間に一度裁判上の手続をとろうとしたが、虚偽の出生届をしているのでそれが明らかになれば処罰を免がれないというような話を聞かされたので右手続を断念し今日に至った次第であるが、今次戸籍法の改正で申立人と右次郎の戸籍が分離改製せられたところより、申立人等の子女達が頗る奇異の感をいだき、一刻も早く戸籍の訂正をなすべき旨申立人に熱望慫慂している現況にあるので、申立人としては戸籍の記載を真実に合致させるため戸籍の訂正を求める緊急の必要が存するものである。
(1) しかるところ、申立人の戸籍上の父母も、実母も既に死亡しているため、本件については、一般に戸籍訂正の方法として行われている、まづ右戸籍上の父母との間の親子関係不存在もしくは実母との間の親子関係存在の確認判決ないし同審判を得て、戸籍法第一一六条による戸籍訂正の手続をとるということができない。
しかし、本件の場合は後記の理由により右のような確認判決ないし同審判を得なくとも、直接に戸籍法第一一三条による戸籍訂正の許可を得て右訂正の申請をなし得る場合であると思料する。すなわち、
(イ) そもそも、出生届は事実の報告であり、その報告に基づいて実父母の氏名、これとの続柄が記載される。
ところが、本来親子関係というものは、そのうち母子関係については分娩という自然的事実によって生じ、また父子関係については、母の分娩の日と当該母とその夫との間の婚姻成立の日または婚姻関係解消の日との関係によって定まるものであり、出生届によって形成されるものではない。
されば虚偽の出生届による戸籍上の記載によって右のような親子関係(母子関係および父子関係)は毫も影響されるものではない。
(ロ) 戸籍は公文書として、その成立の真正は推定されても(民法第三二三条第一項)、そこに記載されている子の実父母の氏名およびこれとの続柄の記載が真実であることについては法律上の推定力があるわけではない。
ただ、通常は虚偽の出生届というようなものはなされることがないという経験的事実に基づく事実上の推定が働くに過ぎないのである。
(ハ) したがって、出生届に基づいて記載された子の実父母の氏名および続柄の記載が出生によって生じた親子関係の実体に符合しない場合には、戸籍の記載にかかわりなく、反証を挙げて親子関係の実体を主張することができる。
しかして、この主張は必ずしも人事訴訟によってでなければできないというものではなく、通常の訴訟において先決問題としてでもできるし、本申立のように戸籍訂正許可の審判手続においてもできるものといわなくてはならない。
この点嫡出子の推定のごとく法律の規定により、あるいは認知届、縁組届のように身分行為にもとづいて生じた親子関係については、まづ人事訴訟によりかかる実体を形成的に否定したうえでなければ戸籍訂正を行うに由ないのと根本的に異るのである。
戸籍法第一一六条の確定判決を必要とするのは、これらの場合だけである。
(ニ) 親子関係にもとづいて生ずる親権、扶養、相続等の関係は法律関係であるが、その基本たる親子関係そのものは一つの事実関係に過ぎない。
前記のように母子関係は分娩という事実によって生ずるものであるから、母子関係の有無を確認するということは分娩という事実の有無を確認することに外ならない。
したがって、これは明文の規定がない限り確認訴訟の対象となすことができないものである。
父子関係また嫡出子について言えば、母による分娩の日と母とその夫との間の婚姻成立の日または婚姻解消の日を確定すれば、自らその存否が定まってくるものであり、したがってこの関係も事実の確定の問題であって、確認訴訟の対象とすることはできないものである。
(ホ) これを要するに、親子関係の存否について争がある場合には、紛争当事者間において親権、扶養、相続等の具体的な法律関係の存否を対象とする訴訟において先決的な問題として親子関係の存否を主張し立証すれば足りることであって、親子関係の存否を対世的に確定するということは法律の特別規定をもってするのでなければ到底認め得られないものというべきであり、親子関係を一つの法律関係として、その存否の確認を目的とする人事訴訟なるものを認めて来た従来の取扱は根本的に反省されなくてはならない。
そうすると、虚偽の出生届に基づく申立人父母欄の母イトの記載は戸籍訂正の方法によってこれを消除し得ることは明らかである。
(ヘ) また、申立人に対する申立外森五郎の認知届出は、虚偽の出生届に基づく母子であって真実は何ら親子関係のない申立外イトを母として申立人が出生したものであることを前提とし、同人との間に父子関係を承認したものであるから、右認知はその基礎を欠くものであることが明らかである。
したがって、敢えてこれが無効、取消の手続を経ることを要せずして、真実に反する戸籍の記載を訂正(消除)できるものというべきである。
(2) つぎに、(1)において述べたように申立人の父母欄の氏名はこれを消除できることが明らかであるが、そのあとに新しく真実の母の氏名を戸籍訂正の方法で記載できるか否かについては若干検討を要するものがある。けだし、戸籍法第一五条によると、戸籍の記載は、届出、報告、申請もしくは請求、証書もしくは航海日誌の謄本または裁判によってこれをなすべきものであるから、母の氏名を新たに記載するについては、新たなる出生届出がまづなさるべきではないかという疑問が存するからである。すなわち、本件の場合においても同条の立前からすれば、まづ出生届出の資格を有する者から新たなる出生届出をなし、それによって新たなる戸籍の記載を受け、しかる後それをすでになされている申立人の戸籍に移記するという方法による戸籍訂正を求めるべきものであるといわなければならない。
しかし、本件の場合、申立人の出生届出をなす資格のある者は一人も生存していないので右原則によることは不可能である。
したがって、斯かる場合においては、やはり戸籍訂正の許可審判手続により右新たなる母の氏名およびこれとの続柄を記載することの許可を受けて右訂正をなすほかなく、またかかる訂正手続は許されて然るべき筈であると考える(本件の場合、申立人は既に養子縁組届出により亡山川アキの戸籍に入っているので、新たに就籍許可の審判を受けて、母の氏名、続柄を記載するという方法によることもできないので。)。
よって申立趣旨のごとき戸籍訂正許可の審判を求めるものである。
(二) そこで判断するに、本件申立書に添付された、筆頭者山川アキ、同山川次郎の各戸籍謄本、戸主山川一平、同森五郎の各除籍謄本ならびに≪証拠省略≫を綜合すると、申立人は明治三四年七月三〇日、亡山川一平の二女アキが氏不詳太郎なる男と関係した結果分娩した子であるところ右父一平は同人の長女で、右アキの実姉である山川イトが当時既に二人の私生子を出産しておったので、申立人も同女が産んだ私生子として届け右妹娘たるアキの将来に対する不利な影響をできるだけ避けようと企て、同年八月三日申立人を右イトの私生子として届け出でたこと、その後右イトは申立外亡森五郎に嫁したが同人と相はかり、右五郎において大正九年三月二三日申立人を自己と右イトとの間に出生した子として認知の届出をなしたため、申立人は右五郎の戸籍に入籍し、戸籍上同人の庶子女として登載されるに至った(旧戸籍法第八三条参照)こと、しかるところ申立人はさらに同一一年五月九日実母である前記山川アキとの間に養子縁組をなしその旨の届出をなしたので、同人の戸籍に入籍し現在のような戸籍記載を受けていること、右戸籍記載にかかわらず、申立人はその出生以来終始前記山川一平方で生母のアキによって養育され曽て右イトの膝下にあってその掬育を受けたようなこともなければ、右五郎に引取られたこともなく、勿論同人等を父母と呼称したこともなく、同人等との間には戸籍上に親子としての虚名を留めているだけで、実質的には右戸籍の記載に照応するような何らの生活関係がなく、右記載は全く実態のない形骸に過ぎないこと、しかして申立人は同人の前記縁組と同日に右山川アキと養子縁組をなした右森五郎の三男次郎(右五郎と先妻タキ間の三男)と事実上の戸内婚姻をなし、同人との間に九人の子女を儲け今日に至っておるが、戸籍上は申立人と次郎はその父(森五郎)を同じくする血族二親等の関係にあるため適法に婚姻することができず、そのため右子女九名はいずれも非嫡の子となっており、かつ曩の戸籍法改正により申立人と右次郎の戸籍が分離改製せられたところから、申立人の子女達が頗る奇異の感をいだき、心理的に動揺し勝ちであるため、家庭平和の上からも早急に戸籍の記載を真実に合致させ、申立人と右次郎の適法な婚姻届の提出ができるようにする必要が存するものであること等の事実が認められ、右認定に反する証拠は存しない。
そうすると、該戸籍には真実は申立人との間に父子関係または母子関係のない前記森五郎ならびに同イトが申立人の父母として表示されているのであるから、右戸籍の記載は真実に反するものであることが明らかであり、申立人が右記載を真実と符合するものとし、かつ申立外次郎との間の事実上の婚姻を適法なものとするため、右戸籍の訂正を求める必要の存することも明白であるといわなければならない。
しかるところ、斯かる場合における戸籍訂正の手続としては、その運用面において変遷があり、当初は親子関係の存否に関する戸籍訂正については、それが身分法上重大な影響を生ずる場合であるから必らず戸籍法第一一六条の訂正手続によるべきものであるとされ、このためまづ当該子とその戸籍上の父母との間における親子関係不存在確認の判決(または家庭裁判所の審判)を得たうえ、これによって戸籍訂正の申請をなすべきものとされ(昭和二五年一二月二八日最高裁判決、民集四巻一三号七〇一頁参照)、したがって戸籍上の父母双方が既に死亡しているような場合には、かかる訴における当事者一方の欠缺により上記の判決(審判)を得ることもできないので、戸籍訂正の余地もないものとされていたのである。
しかし、その後現実社会における必要は、右のような場合においては生存する実父母との間の親子関係存在確認の訴により、かつこれにより確認の判決(もしくは審判)を得たるときは、同判決(審判)を資料として戸籍法第一一三条による家庭裁判所の戸籍訂正の許可を受け右訂正の申請をなし得るものであるとの実務上の取扱いを拓くに至った(昭和二四年九月二八日法務府裁判所第三回戸籍関係事務協議会議決並びに昭和三一年三月二三日大阪高裁決定―家裁月報八巻五号四一頁参照)。
しかし、かかる運用によっても、戸籍上の父母ならびに実父母が共に死亡後であるときは、如何ともする術がなかったのである。
そこで本件のように虚偽の出生届に基づき、全然親子関係のない他人の子として戸籍に記載されているような場合であって、かつ前記のように戸籍上ならびに真実の父母双方が死亡し、親子関係存否の裁判(審判)を求めることができない事情にあるときは実体的な身分関係の確定はしばらくこれを措き、事実に反する戸籍面だけを是正することとし、このため戸籍の記載が事実に反するとの確証がある限りは、戸籍法第一一三条による戸籍訂正が許容されるものであるという見解(昭和三四年四月一四日広島家裁福山支部審判――家裁月報一一巻七号七〇頁参照)や本件申立人意見のごとく、親子関係というものは、そのうち母子関係については分娩という自然的事実によって生じ、また父子関係については母の分娩の日と、当該母とその夫との間の婚姻成立の日または婚姻関係解消の日との関係によって定まるものであるから、その存否は事実の確定の問題であって、確認訴訟の対象とすることはできないものであり、したがって戸籍面の記載が真実の親子関係と符合しないときは、むしろ戸籍法第一一三条の手続にのみよるべきものであるという考え方を生ずるに至ったのである。
思うに親子関係就中母子関係は分娩という自然的事実に基づき生ずるものである点からみれば、一個の事実関係に過ぎず、したがって純理的には権利または法律関係の現在の存否を確定することを本質とする確認訴訟の対象たるに適しないものである。
しかし、親子関係は右のように発生的には事実関係であるが、同時にそれは親権、扶養、相続等広汎かつ重大な身分法上の法律関係を生み出しこれに直結するものとして、それ自体身分法上の身分関係であり、一つの法律関係であるとみるべきものである。
したがって、その存否は特別の規定を要しないで一般に確認の訴の対象たり得るものといわなければならない(同旨明治三三年四月一七日大審院判決―民録六輯四号八六頁参照)。
したがって戸籍の記載と真実の親子関係とが符合しない場合にこれを訂正する方法としても、その訂正による影響の性質に鑑み、その手続の慎重性ということが要請されるので、本来の立前としては右訂正の前提として親子関係存否に関する確認の訴を先行せしめる必要が存し、このためには戸籍法第一一六条による訂正方法を必須とするものと考えざるを得ないのである。
しかし、反面戸籍の記載は身分関係を公証するに過ぎないもので、これを形成または確定するものではないから、戸籍の記載が真実に反するものであり、かつこれが訂正につき前記のような訴(もしくは審判)による身分関係存否の確認手続を経ることが不可能な場合には、右記載が真実に反することについて強度の信憑性ある資料の存在を担保として戸籍法第一一三条による戸籍訂正、すなわち実体的な身分関係を確定することなく、事実に反する戸籍面だけを是正する方法による戸籍訂正も許容されて然るべきものと考える。
この考えに立つと、本件申立のうちで、まづもって筆頭者山川アキの戸籍中、申立人父母欄の母の欄にイトとあるは亡山川アキと記載さるべきものであるから、右イトを消除して、そのあとに亡山川アキと記載する方法による訂正が許容さるべきものであることは明らかである。
尤も戸籍の記載を届出、報告、申請、証書または裁判等の方法に限定している戸籍法第一五条の法意から考えると、この場合イトの記載を消除することは別として、その後に真実の母として亡山川アキの氏名を戸籍訂正の方法で記載することができるか否かについては、やや疑義なしとしないのであって、同条の立前からすれば、まづ申立人につき新たにその出生届出をなし、それによって新たなる戸籍の記載を受け、しかる後これを既になされている同申立人の戸籍に移記するという方法による戸籍訂正を講ずべきものではないかと一応思料されるのであるが、本件の場合、申立人についてその出生届をなすべき資格のある者は一人も生存しておらないので右原則的方法によることは全く不可能である。
そうすると、かような場合においては、やはり戸籍訂正の許可審判手続により右新たなる母の氏名およびこれとの続柄を記載することの許可を受けて訂正するという方法によるほかなく、また戸籍法第一五条が斯かる家庭裁判所の許可に基づく戸籍記載まで排除しているとは、その文理上考えられないので、かかる訂正手続はこれを許容して差支えないものと考える(なお、かかる交替的記載による訂正方法につき結論的には同旨のものとして、昭和三七年二月二八日福島家庭裁判所審判―家裁月報一四巻七号八八頁参照)。
つぎに申立人の父母欄中、父の欄に森五郎と記載しある分については、それが右五郎の認知届によるものであって、かかる認知による親子関係の無効もしくは取消については、従来訴による無効または取消の確定判決(もしくは審判)を必要とし(大正一一年三月二七日大審院判決―民集一巻一三七頁参照)、かような判決(審判)を得るまでは、親子としての身分関係が存続するものであるとされているので、かかる判決(審判)を経ないで戸籍を訂正することがはたして許さるべきものであるか否かについて疑義なしとしないのである。
なお認知に、無効もしくは取消の原因が存する場合においても、認知者の死亡後は被告たる適格者がないものとして、右無効もしくは取消の訴を提起することはできないものともされている。
けだし、人事訴訟手続法においては、子より提起する認知無効もしくは取消の訴につき、相手方たるべき認知者の死亡後は何人を相手とすべきかについて何ら規定しておらず、かつ婚姻の無効または取消の訴につき相手方とすべきものが死亡した後は検察官を相手方とすべき旨の同法第二条第三項の規定が養子縁組事件(養子縁組の無効もしくは取消の訴を含む)に関する訴および子の認知の訴に対しては、準用されておる(人事訴訟手続法第二六条、二四条、三二条第二項参照)のに拘らず、同法三二条第三項において認知の無効または取消の訴に対しては、とくに右準用を除外している法意等に徴するときは子より提起する認知無効または取消の訴は相手方たる認知者の死亡後は、被告たるべき適格者がないものとして、これを提起することができない趣旨であると解するほかないためである(同旨昭和一七年一月一七日大審院判決、民集二一巻一号一四頁参照)。
この点について積極の立場をとる昭和二九年一二月二四日付山口地裁判決(下裁民五巻一二号二一〇四頁参照)や昭和三二年九月二五日付長崎地裁判決(判例時報一二九号三八頁参照)は人事訴訟手続法第三二条第一、三項の反面解釈上到底左袒し得ない。
また、家事審判手続において、検察官を相手方として調停を申立て家事審判法第二三条により、当事者の合意を基礎とする認知の無効もしくは取消の審判を受け得られるか否かについてもこれを消極に解せざるを得ないのである。
けだし、公益の代表者的地位を有する検察官としては、その立場上かかる合意(本条の合意を純手続上の合意とみる見解も存するが、その文理上到底賛し得ない。)には親しまない(とくに右合意が必要な事実調査を経ない段階において成立すべき性質のものである点から、かく言えるものと考える。)という一般論から検察官を相手方とする同条の調停審判は否定的に考えられるのみならず、仮りにしばらく検察官の右公益性を捨象するとしても、子の認知のごとく認知者の死亡後は検察官を相手方となし得る旨の明文(人事訴訟手続法第三二条第二項)がある場合は一応成法上の根拠を有するものと言い得るが前記のごとく、かかる規定を欠如している認知の無効または取消については、検察官の当事者適格を認めるべき手懸りを全く欠くものというほかないからである。
なお家事審判法第二三条審判について検察官の当事者適格を認めた昭和三六年一二月二二日付福島家庭裁判所の審判(家裁月報第一四巻第九号一〇四頁)も、子の認知を求める調停申立に対してなされたものであって、認知の無効もしくは取消の申立についてなされたものではない。
そうすると、認知無効もしくは取消の確定判決(審判)を戸籍訂正の必須の要件と解する立場に立つ限りは、本件のごとく既に認知者森五郎が死亡し訴の相手方となるべきものを欠いている場合においては、真実に反した戸籍の記載もそのまま放置するほかないことになるのである。
しかし、既に認定したように右森五郎は申立人を自己と前記イトとの間に出生した子であるとして認知したものであるところ、申立人が右イトの分娩にかかるものでなく、山川アキと氏不詳太郎なる者との間に出生した子であることは明らかであるのみならず、仮りに申立人が右五郎の実子であるとすれば、同人が同じ実子である前記次郎を申立人と娶わせること、すなわち異母兄妹同志を結婚させるというような背倫的所為に出るということは到底考えられないところであるから、前記認知が真実に反し、客観的に血縁関係の存在していない者に対してなされたものであることについては、極めて明白かつ高度の証明があるものというべきであり、したがってまた斯かる真実に反した認知に基づいてなされた戸籍の記載も不真実なものであることについては右同様高度の信憑性ある証明が存するものといわなければならない。
しかるになおこれが訂正の機会が与えられず、右不真実の戸籍記載のため、社会生活関係においては全く完全正常な夫婦として遇されている申立人と右申立外次郎が合法的な婚姻の届出ができず、その間に出生した子等もその真実の身分に相応する法律上の待遇を拒否されておるということは、法全体の精神に照らし、著しく妥当を欠くものといわなければならない。
思うに認知が真実に反しても、判決による無効宣言がなされない限り法律上親子関係は存在するものであり、したがって戸籍の訂正も右判決を俟たなければ如何ともし難いものであるとされるのは、真実に反し客観的に血縁関係の存在していない者に対してなされた認知であっても一応は有効であり、当然無効ではないので、これによって親子関係は発生し、判決による無効宣言を俟って該認知、したがってまた右親子関係を遡及的に無効ならしめることができるだけに過ぎず、右認知無効の訴はかかる身分変動を創設する形成の訴であるとする立場に、主としてその基礎を置いておるものであることは言うを俟たないところであるから、もし真実に反する認知を当然無効であるとみる見解(我妻栄著法律学全集親族法二三六頁参照)をもって正しいものとすれば、右認知無効の訴はかかる無効の認知を確認する確認の訴となり、したがって確定の判決または審判がないうちに戸籍訂正等についても先決問題として右認知の無効を主張し得る余地があるものといわなければならない。
しかして、本件の場合のように、前出の各戸籍謄本および各除籍謄本を綜合すると、申立人と申立外次郎は経験則上通常の場合においては夫婦となるべき筈のものではないところの、父を同じくする兄妹であることが明認でき、かつこれは前記森五郎の認知行為の結果であることも明白であるから、右認知が真実に反し、客観的に血縁関係の存在しない者に対してなされたものであることは極めて明白であり、右認知行為の瑕疵は重大であるといわなければならないから、かかる無効性の明白かつ重大な不真実の認知はその性質上むしろ当然無効に属するものとみるのが相当であるというべきである。
尤も、認知無効の訴についても、その判決の効力は第三者にも及ぶ(人事訴訟手続法第三二条第一項第一八条第一項)対世効のあることに鑑みると、法律関係の画一的確定という見地からはこれを形成無効の訴とみるを相当とすべきもののようにも考えられるが、確認の訴としても、特別の身分関係事項に関するものについては、その訴提起権者を最も直接的な利害関係のある者に限定する等の条件の下にその判決に対世的効力を認め、これによって法律関係の画一的決定をはかることを可能にするように定めることができ、かつこれと同時に一般の利害関係者に対しては、別の訴訟で先決問題として無効を主張することも禁じないという法制の立て方ももとより可能なことであり、民法および人事訴訟手続法の構造を右のようなしくみのものとして解釈する余地も十分あるのである(我妻栄親族法五八頁参照)から、認知無効の訴を右のような意味における無効確認の訴と解し、真実に反した認知就中本件事案のような認知をもって当然無効のものであるとみることも決して背理ではないものといわなければならない。
もっとも、このように認知無効の訴を確認の訴としても、本件の場合は前記のように右訴の相手方たるべき者について当事者適格のある者を欠く理由によって、該訴の提起、したがってまた無効確認の判決を得る途は閉されておるのであるが、上述のように認知無効の訴を確認の訴とし真実に反した認知を当然無効すなわち、その失効につき身分変動の創設的裁判を必要としないものと解し得るとすれば、確定判決を俟たずに、これが無効を主張することも可能であり、したがってまた既に申立人と前記イトとの親子関係につき、戸籍面における不真実の記載を訂正することの可否ならびにその方法について検討し結論したと全く同様の理由により、前記森五郎の申立人に対する認知ならびにその結果である右五郎と申立人間に親子関係が存する旨の戸籍記載についても、それが真実に反することについて明白かつ高度の証明が存することを担保として、家庭裁判所が戸籍法第一一三条による戸籍訂正、すなわち実体的な身分関係を確定することなく、右真実に反する戸籍面だけを是正するという方法による戸籍の訂正を許可することの審判もまた可能であるものといわざるを得ないのである。
しかして、このことは、前記のように不真実の認知を当然無効とみ得るということに加え、我国の戸籍が身分関係を公証するだけで、これを形成し確定するものではなく、またフランス民法第三二二条のごとく一定事実(戸籍の記載と社会的生活関係における身分関係の実態とが吻合しているという事実)の存在を条件として、該戸籍の記載に不可抗争性を付与し、これに反する一切の主張ならびに反証を許さないというような特別規定もないこと(既述の如く、本件の場合はかかる戸籍の記載と実態との吻合事実も認められないが。)、ならびに実定法的にも戸籍法第一一六条は「確定判決によって戸籍の訂正をすべきときは……」と立言しているだけであって、いかなる訂正には確定判決もしくは審判によらなければならないかを法定していないところより、同条の文理を合理的に解釈して、当事者間に争いのない場合とか、戸籍記載の前提となっている身分行為の無効性が極めて明白かつ重大であるような場合、その他これと同価値視し得るような場合については必らずしも確定判決を得て訂正する必要はなく、同法一一三条の訂正(この場合も許可の前提として家庭裁判所の調査判断が先行することは勿論である。)によることも可能であると推論し得られること等からも首肯し得られるところであって、一応実体関係については争い得る余地を残しつつも、戸籍面だけを訂正するということ(許可による訂正は判決または審判のような確定的効力は生じないので、利害関係人からこれを争う余地の残されていることは勿論である。)は、法の一面である技術性を他の一面である条理性の要求に調和させて実定法の陥り易い硬直化を防ぎ、法の具体的妥当性を期するといううえにおいて是認し得られるものであると思料されるのである。
なお、そのほか一般的に戸籍訂正の先行的手続として、確定判決(審判)の取得が要請される所以のものとしては、かかる戸籍訂正の対象となる者の身分的利益を侵すことのないよう、とくに慎重を期する必要があるという顧慮にも出ているものと考えられるが、本件においては前記認知者の森五郎は夙に死亡し、同人と被認知者たる申立人との間の戸籍記載による身分関係は既に過去のものとなっており、右訂正の対象となる者は申立人だけに止まるところ、同人は右訂正を切望しておる本人であり、かつ既に認定したごとく、右訂正をまことに喫緊の要事としている実情が存するのであるから、訴による先行的手続を経ること(事実上その不可能であることは既述したとおりであるが、)なく、直接本件戸籍を訂正することによっても、同人は何らの不利益を受けることがなくむしろその利益となるものであることが明らかである。
そうすると、当裁判所が前叙の事実関係に基づいて右森五郎と申立人間には父子としての血縁関係が存しないことを認定したうえ、右認定に反する不真実の戸籍記載を訂正するため、戸籍法第一一三条により申立人の父欄に表示されている右森五郎の記載の消除を許容することの審判をなすにつき法律上の障碍はないものといわなければならない。
よって、右法条に基づき申立人の求める戸籍訂正をすべて認容することとし、主文のとおり審判する。
(家事審判官 石川晴雄)